AIの時代の労働と収入
ディープラーニングやChatGTPが出てきてから、AIに仕事を奪われるとかよく巷で話題になったりするのですが、昔から疑問に思ってことは「AIが働いてくれるなら人間は働かなくていいし、なんか問題あるの」ってことでした。じゃあ、どうやってお金を得たり、食べていくの?などに関する経済的な方面からの議論は自分が思ってるのと違うものが多く、前々から持論を一度まとめてみました。
AIが働くようになると、誰がお金を得るのでしょうか?現状の資本主義社会では、AIが働いたからといってAI自体に賃金が支払われるわけではなく、当然AIを使う企業に利益が入るわけです。しかし、企業の利益というものは、配当や株の値上がりによって株を持っている株主の利益になるわけで、最終的には誰か個人のお金に還元されるわけです。つまりAIによる収益 ⇒ 企業 ⇒ 株主 という流れでとなるので、株を持っている人は働かなくてもお金をえることができるはずです。よくある勘違いとしてはAIとか企業とかを実体のある「人」のように思ってしまって、AIや企業に搾取されて人間には何も残らないみたいな極論があったりしますが、生産の対価は賃金や配当を通じて、むしろ最終的には人間にしか残らない(均等ではないが)というのが現在の資本主義の仕組みなわけです。
さてAIの進化は早いですが、今すぐにすべての仕事がAIに置き換わるというはなく、AIが使いやすいところから徐々にシフトしていく「移行期」と、最終的に生活に必要な仕事のすべてがAIに置き換わる「完了期」に分けて考えてみたいと思います。
まず、「移行期」についてはAIが使いやすいところからAIに仕事がシフトしていていき、その分企業側の収益が上がるので、株価の上昇や配当収入が増え、それらの金融所得だけで暮らせる層が 10年単位で 5% ⇒ 10% ⇒ 20% みたいに増えていくのではないかと思います。今でも株価の上昇や遺産相続などで、FIREできる人たちはいますが、それらがそんなに珍しくなくなるはずです。移行期ではより多くのお金を持っている人から先に、労働フリーな層へ抜けていくわけです。当然、労働フリーな層に早くたどり着くには、当然なるべく早く、株などの金融資産を積み上げていく必要があるはずです。
しかし、移行期において、金融資産がない場合、AIに仕事を奪われる状況で、どうやって金融資産を増やすことができるのか、という疑問もあるかと思います。先に労働フリーになった人たちは、趣味的な仕事をするか、趣味だけで労働しないか、のどちらかなので労働人口は減る一方、当面AIに置き換えにくい仕事、例えば大工や電気工事士などの仕事は残ると思います。消費が変わらず、労働供給が減る分野ならば、その分野の人間の労働単価も高くなる可能性は高いと思います。ようは、AIの得意分野や趣味的な仕事と競合しない仕事を選ぶ限りは、単価は良くなるはずです。こうやって労働で得た収入を無駄遣いせず、粛々と積立投資するならば、現役中に労働フリーへと移行することはできるのではと思います。
なので、仕事がなくなることを恐れ、スキル云々を考えるより、さっさと金融所得を増やして労働フリーの確保を目指した方が得策なのかもしれません。また、そのためにはAIと競合しない仕事を選び、無駄遣いせず、粛々と積立投資することが最善策だと思います。
次に生活に必要な仕事のすべてがAIに置き換わる「完了期」を考えてみたいと思います。日本人全員がもし均等に金融資産を保有しているならば、労働所得が金融所得に置き換わるだけなので、問題は起こらないですが、現状の資本主義社会の延長線上でそうなるとは考えにくいと思います。当然、金融資産の片寄りは存在して、金融所得だけの収入で生活できる人々はそれなりの割合でいるはずですが、100%にはならないと思います。その場合、十分な金融所得がない人は労働が必要になりますが、AIでもできる仕事と競合してしまうので、単価が上がらず苦しい立場になると思います。苦しい立場の人が増えると、犯罪など社会的に不安定な要素が増えるので、それを抑えるような政策が取られるはずです。金融所得から税金を一部徴収し、それをベーシックインカム等で再配分するというのが現実的だろうと思います。余裕がある金持ちからすれば、多少収入が減っても、安全である方がいいので、金融所得からの税金を元にお金を配って、みんな仲良く労働フリーとなる社会が完成するのだと思います。
だたし、人類は完了期になったとしても資本主義はやめず、貧富の差はある程度残るのではないかと思います。生存に必要なものは労働せずともベーシックインカムで賄えたとしても、それ以外のものはゲーム中のアイテムのように、人によって差が残るようになると思います。「働かなくていい = 無制限になんでも買える」わけではなく、全体の資源は有限なので、保有資産等によって個人の消費できる量には制限が掛けられているわけです。例えば、海外旅行や高級料理など資源を多く使うものは、お金がたくさんある人でないと多くは消費できないと思います。
さて、この労働フリーの完了期において、仕事をする人がいなくなるのでしょうか?人類は競争が好きなので、新たな商品やサービスの開発競争をする企業と経営者は存在するでしょうし、そこで商品やサービスを開発する仕事を楽しむ人はいるはずです。また、仕事で得た収入で海外旅行にたくさん行きたい人や、組織の中でエラくなりたい人、他人のお世話が好きな人など、いろんな理由で労働フリーであっても仕事したい人が一定数いるはずです。逆に、資源を多く浪費しない家庭菜園などの趣味やゲームをして過ごすのも普通の生活なんだろうと思います。
こう考えると「今の生活とそんなに変わらないじゃないか」と思いますが、革新的なシナリオを考えるより、今の資本主義社会の延長線上を考えたほうが無難だと思います。無難なシナリオではありますが、AIの時代へ移行するにおいては労働所得より金融所得の方が大事というは気に留めてみてもいいかもしれません。今回のコラムはなんとなく自分が思っていること素人ながら書きたくなっただけで、いろんな穴はあると思います。ただ、AIに支配されるとか、仕事を奪われるとかだけじゃなくて、現実的にAIがどう経済や社会に影響するのかについて、いろんな角度から議論するようなコミュニティがあってもいいんじゃないかと思いました。