AI世代は何を学ぼうか?
AI世代は自分のことでなくて、娘(1才)の将来の時代を考えてみたときに何を学んだらいいかなと考えてみたポエムです。
世間で恐れられているシンギュラリティですが、シンギュラリティがおきれば人間が働かなくていいだけで、それはそれでダラダラ生きればいいんじゃないでしょうか。今回シンギュラリティは置いておいて、もう少し可能性があるディープラーニングが将来だれでも簡単に使えるようになった時代を想定したものになります。
(Francois Chollet のPythonとKerasによるディープラーニングの最初の方を参考にしてあります。)
従来は「データ」+「ルール」 を 「コンピュータ」 に入力すると「答え」が出てくるのに対し、 将来は「データ」+「答え」を「 ディープラーニング」 に入力すると「ルール」が出てくる形になるというのが大きな違いになるかもしれません。
現状、プログラムは人間が作らないといけなくて、ロジックがしっかりしたアルゴリズムを人間が設計しないとコンピュータが動かないのに対し、将来はデータと答えを用意すれば勝手にルールを作ってくれる形に変わってしまうわけです。 ここで人間がするべきことは何が残るのかというと、「データ」と「答え」を用意することは残るわけです。つまり、「何をするか?」は人間が決めないといけません。
注)あくまで「将来」の可能性であって、現時点ではディープラーニングがハイパーパラメータの調整なしにEnd to Endで素人でも簡単に学習させられるようなものはできてないような気がします。。
さて、ここでコンピュータのない過去の時代を振り返りながら考えて将来の時代を考えてみたいと思います。
1970年代に電卓が普及するまでは、商店、経理、銀行などでお金を計算する場合、手計算やそろばんを使って計算するしかなかったはずです。この時代では人間は素早く正確に計算することが大事で、大半の人は、機械的に繰り返す能力が求められていたのではないかと思います。
これが、電卓やコンピュータが普及してくると、人はそれらの道具を使いこなして、機械に仕事をさせるようになりました。そのため、人間の仕事はルールやプログラムを作って、効率よく機械が自動的に動くようにすることが、自分で早く計算することよりも大事になってきたような気がします。 工場では機械やロボットが自動的に仕事をする工場(ファクトリーオートメーション)となってきましたが、その機械や制御盤の設計、PLCや画像処理のプログラムの作成は人間の仕事となりました。
自分が小学校の時(1990年代)はそろばんを習っていたのですが、ポケットサイズの電卓は家庭にあった時代なので、なぜ習う必要があるかはよくわからないままやっていたような記憶があります。とはいえ悪影響があったともいえないので特に悪くは思っていません。自分の子供に対する教育というのは自分の過去の経験に基づくものなので、必ずしも将来の時代に合ったものになるとは限らないのが難しいところです。
将来はデータを答えを用意すれば機械が勝手にルールを学習してくれるはずなので、人間の仕事としては機械に何をやらせたらいいか?を決めることが大事になってくるのではないかと思います。
これを問題に対する考え方の変化にするとこんな感じになります。
昔はひたすら頑張って問題を解くのが大事だったのが、今は効率よくうまい方法を使って解くことが大事に変わってきたような気がします。これが将来、問題の「解き方」よりも良い問題を「見つける」方が大事に変わっていくのでないでしょうか?
そうなったときのために何を学ぶべきかはとても難しいです。計算問題をひたすら解くわけではなくて、応用問題を解けばいいというわけでもないはずです。
結局、「よく遊び、よく学べ」的な感じでしょうかね?
※2019年3月27日
http://samacoba.hatenablog.com/
より過去のブログのバックアップとして転記